<序文より一部抜粋・編集>
2021年初秋。連日テレビからは死者数を報じるアナウンサーの声が流れている。日本を含め世界中で,いま新型コロナウイルス感染症が流行し,人類は,紛争地域ではないところでも戦時下のように,日常身近に死を意識せざるを得ないといういまだかつてない恐怖の体験を強いられている。この感染症は,そもそも,いつどこで発生したのかは明らかになっていないが,2019年末中国から流行し始めきわめて速く全世界に広がり,今や累計2億3千5百万人(内,日本170万6千人)もの感染者と480万人(内,日本1 万8千人)の死者を出すに至っている(本書が出版されるころには,これらの数字がもっと大きくなってしまっていることが危惧される)。
(割愛)
精神医療も変わった。
「コロナが怖いから病院に行けない」,「コロナを持ち帰るから病院に行くなと家族が言う」,「東京のクリニックに行くのなら(通っている作業所に)来ないでほしいと言われる」,「会社の上司から東京のクリニックには行かないでほしいと言われる」,「コロナが流行っているときだけでも近医にかかれと家族に言われる」,「電話で診察し薬を送ってほしい」などのいろいろな理由で,一部の患者は受診を控えるようになったり,やむを得ず転医せざるを得なくなったりしている。長い時間をかけこころを込めて医師,患者間に築き上げ守ってきた大切な絆が,いとも簡単に踏みにじられ破壊されようとしている。精神医療の未来が危ぶまれる。
病院は,水際対策により新型コロナウイルス感染症を院内に持ち込まれないように気を配り,外来では,患者に熱があったり問題のある行動履歴があったりすると診察室のある棟の外にある別室にいてもらい,その部屋と外来診察室をオンラインで繋いでのモニター画面を介した診察となる。
病院内では,患者も医師も看護師もすべてがマスクをし,お互いの声はくぐもり表情は見えにくく,こころや感情は伝わりにくい。これでは,医師や看護師が,患者の本当のこころに寄り添いたくても難しく,医師から患者への言葉が的を射た患者への助言となること(精神科では最も大事なことだが)は,難しくなりがちだ。外来診察室では,患者と医師は,ソーシャルディスタンスを意識してやや距離を取り,2人の間に置かれたアクリル板越しに話す。アクリル板はウイルスを含む飛沫の直達を防ぐが,同時にこころの直達も妨げる。やはりアクリル板越しでは精神医療は難しい。
(割愛)
このようないわゆるコロナ禍といわれる情勢においても根気よく治療を続けている統合失調症患者に,気が滅入り,好むと好まざるにかかわらず引きこもりがちにならざるを得ない今だからこそ,病からの回復へ向かう力が湧き上がってくることを祈って本書を著しエールを送りたい。
統合失調症患者が良くなることを「回復」というが,それは患者が自分らしく生きられるようになることを言う。そこには,自然に「就労や結婚」が含まれるが,それら「就労や結婚」は「回復」のおまけと位置づけたほうが患者にとってストレスにならなくて治療的であろうと考えられているように思う。しかし,それはあくまでも医療者側からの見かたであって,“ 普通” になりたいと願う統合失調症患者にとっては,実現させたい切実な具体的な目標ではないだろうか。
本書では,私のところで通院治療を続けている統合失調症患者で,コロナ禍のいまも統合失調症に負けず,治療目標である回復へのステップを一歩ずつ進んでいる患者,個性的な素晴らしい趣味を披露してくれる患者,就労を続けている患者,結婚し伴侶を思いやる患者などのキラキラと光を放ちながらブリリアントに生きている患者たちを紹介しようと思う。そして,これまでは積極的に扱ってこなかった「就労や結婚」を中心テーマとして描きたい。
本書が,前向きに生きたいと念じている統合失調症患者のこころの支えとなり,回復へ,そして就労や結婚への希望の灯をコロナ禍でも灯し続けられるための一助になれば幸いである。